生い立ち
不老園は、明治30年、市内に住む呉服商の七代目奥村正右衛門が別荘として開園したもので、氏は北海道を除く全国を行脚(あんぎゃ)して、特に九州地方から紅梅、小梅、夫婦梅、ブンゴ梅などを持ち帰ってはこの園に植え付けたそうです。
富士見橋
かぶと岩
山を切りくずし、谷を生かし、池をつくり、その周辺に梅と桜、牡丹、南天、赤松、ツツジなどを栽植して、庭づくりに専念することおよそ30数年。
晩年は自然を友としておくり、大正13年に、86歳でその生涯を閉じました。その後、園は5人の子息によって受け継がれたが、恒久的な維持を図るために、昭和40年に財団法人「奥村不老園」となり、平成26年10月に一般財団法人「奥村不老園」として運営されている。
由来
不老園の名のいわれは、中国の古事
にならって入口に大門を建て梅園を不老園と称しました。
また、池を逍遥の池、池畔の庵を長生閣と呼んで観梅の客を招き、以来甲斐路の梅の名所として有名になりました。